大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

東京地方裁判所 昭和46年(ワ)10080号 判決

原告 甲野一郎

被告 東京都

右代表者知事 美濃部亮吉

右指定代理人 吉田博明

〈ほか二名〉

主文

一  原告の請求を棄却する。

二  訴訟費用は原告の負担とする。

事実

第一当事者の求めた裁判

(請求の趣旨)

一  被告は原告に対し金二五九六万六八七九円及びこれに対する昭和四六年一〇月一日から完済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。

二  訴訟費用は被告の負担とする。

との判決並びに仮執行の宣言。

(請求の趣旨に対する答弁)

主文同旨の判決。

第二当事者の主張

(請求原因)

一1  原告は昭和四五年七月二四日午後七時一〇分ころ東京都北区○○×丁目×××番地所在文房具店「○○○○」店員乙山花子に暴行を加えたとの容疑で追跡され、同店店員丙川正に現行犯人として逮捕され、同日警視庁赤羽警察署(以下「赤羽署」という。)に引致され、同日から同年八月七日まで同署に留置、勾留された。

2  前同署警察官は、前記丙川から原告の引渡しを受けるにあたっては、右現行犯逮捕が適法であったか否かを検討し、これが違法な場合は速かに原告を釈放すべき注意義務があるにもかかわらず、これを怠り、前記逮捕手続に左記の違法があるのにこれを看過して原告を右1のように留置、勾留した。

(一) 原告は前記乙山に対し質問する目的で軽く肩を叩いたのみであり、その行為は暴行罪にいう暴行にあたるということはできず、現行犯逮捕に必要な犯罪事実の明白性に欠けている。

(二) 原告が右乙山の肩に触れたとき、前記丙川は店の奥にいてその現場を目撃したわけでもなく、また原告は逃走したわけでもないので、同人が原告を現行犯人又は準現行犯人として逮捕するのは違法というべきである。

3  仮りに右逮捕手続自体に違法性がないとしても、赤羽署警察官は、原告を受け取った際は直ちに犯罪事実の要旨及び弁護人を選任することができる旨告げるべき義務があるのに、これを怠り、原告に弁護人選任権のあることを告知しなかった。

右のように弁護人選任権告知義務を怠ってなされた前記留置、勾留は違法のものというべきである。

4  原告は右のような違法な前提手続のもとに1記載のとおり一四日間留置、勾留された結果精神的損害を蒙ったが、これは一日あたり金五万円計七〇万円をもって慰藉されるのが相当である。

二1  原告は右勾留期間中の昭和四五年八月初めころ赤羽署看守係警察官に原告が赤羽会館に置去りにしてきたその所有のモーターバイクを右同署に移して保管するよう申込み、同警察官はこれを承諾した。

2  ところが、同人がこれを実行しなかったため右バイクは盗まれ、原告は右バイクの価格相当金二万二〇〇〇円の損害を蒙ったが、これは前記警察官の故意又は過失による不法行為である。

三  前記留置、勾留期間中、原告は赤羽署看守係警察官らの左記の不法行為により精神的損害を蒙ったが、これらに対する慰藉料は金二〇万円が相当である。

1 原告は右勾留に対し勾留理由開示の請求をしたり、手紙を書くために、右警察官らにこれらに必要な筆記用具及び用紙等を請求したが、同人らはこれを拒絶した。

これは監獄法四六条一項、同法施行規則八八条、被疑者留置規則一九条に反する違法な行為である。

2 原告は右警察官らに対し留置の際領置された原告所有の小六法及び東京北簡易裁判所、川口簡易裁判所に係属中の事件に関する訴訟書類を原告に引き渡すべく要求したのに拒絶された。

これは表現の自由を保障する憲法二一条一項、監獄法三一条一項、同法施行規則八六条一項に反する違法な行為である。

3 右警察官らは前同法施行規則九六条に反して赤羽署留置場脇の体操場で被疑者らに喫煙を許したが、そのため煙草嫌いの原告は多大な精神的苦痛を蒙った。

なお監獄法及び同法施行規則は代用監獄についても当然適用されるべきものである。

四1  原告は昭和四五年八月七日東京都衛生局精神衛生課下谷分室に連行され、同所で二名の精神衛生鑑定医により問診を受けた後、右同日精神衛生法(以下「法」という。)二九条一項により東京都指定病院たる慈雲堂病院に措置入院させられ、右入院は同四六年四月五日まで継続した。

2  右入院措置には左記のように手続上及び実体上の瑕疵があり、違法なものである。

(一) 原告は昭和四五年八月七日当時法二九条一項にいう「精神障害」及び「自身を傷つけ又は他に害を及ぼすおそれ」はなく、措置入院させられるべき実体的要件に欠けていた。

(仮りに原告が右要件を備えていたとすれば、赤羽署看守係警察官らは被疑者留置規則一〇条、二一条一項、二七条に違反した責を負わなければならない。のみならず、犯罪の成立を阻却する精神障害者を留置したこと自体、違法のものとなる。)

(二) 法二九条一項によれば措置入院権者は東京都知事(以下「都知事」という。)であるのに、右手続は精神衛生鑑定医によってなされた。これは同条違反であり右措置入院命令は無効というべきである。

なお仮りに東京都衛生局医務部長が右手続をなしたとすれば、特別な委任規定のない同法において同医務部長に対し都知事から右命令をなす権限を内部委任することは許されないものというべきである。

(三) 都知事はその事務特に権力事務については東京都民に対してのみ処分権限を有すること、地方自治法上特に同法一四七条に照し明らかであるから、埼玉県民たる原告をその指定病院へ措置民入院させる権限はないものというべきである。

従って都知事のなした右措置入院命令は同法令に違反し無効である。

(四) 法二五条によれば都知事への通報は検察官によってなされるべきところ、検察事務官水谷某により通報がなされた。これは同条違反である。

(五) 都知事は、法二七条一項による診察をさせる前に、これが必要であるか否かを調査し必要な場合には公文書により精神衛生鑑定医に診察すべき旨命令しなければならないと解すべきところ、都知事はこれを怠り、鑑定前の調査も鑑定命令もしていない。

(六) 法二七条一項による診察は強制力を用いてなすことは許されないから、施錠されている勾留中の被疑者を診察するときは、刑事訴訟法二二五条一項に準じて裁判官の許可を要するものというべきところ、都知事はこれを怠り、右許可を受けなかった。

(七) 法二八条によれば都知事は右診察をさせるにあたって、現に原告を保護する任に当っていた原告の母親に対しその日時場所を通知しなければならないのにこれを怠った。

(八) 原告が二名の精神衛生鑑定医から受けた問診は各々二、三分であり、到底法二七条一項にいう診察とはいえず、結局原告は同項の診察を受けないで措置入院させられたものというべく、本件措置入院は法二九条一項に違反する。

(九) 法二七条三項によれば、右診察にあたって当該吏員の立会いが要件となるべきところ、右立会人がいなかった。

なお、前記分室吏員が一人同一室内の戸口に右診察の際いたことは認めるが、これは到底同項にいう立会いにあたらないものというべきである。

(一〇) 法二九条一項による措置入院には行政不服審査法五七条一項による教示を行なわなければならないと解すべきところ、都知事はこれを怠った。

なお右措置入院命令は書面でなすものと解されているのである。

(十一) 慈雲堂病院はその病棟が耐火構造ではなく、またその食堂がティルーム及び寝室を兼ねていて専用とはいえず、法五条の指定病院に関する指定基準(昭和四〇年九月一六日衛発第六四六号公衆衛生局長通知)に合致しないのみならず、同法二九条の五等の各法令を遵守せず、到底法五条にいう指定病院の実質を備えない病院なのであるから、都知事は速かに同法一一条によりその指定を取り消すか、少なくとも原告を右慈雲堂病院に入院させることは避けるべきであったのに、右義務に違反し原告を同病院に入院させた。

3  以上のように原告は都知事又は東京都衛生局医務部長の不法行為により違法に慈雲堂病院に二四二日間措置入院させられたが、その間原告の受けた精神的損害は一日あたり金二〇万円合計四八四〇万円をもって慰藉されるのが相当であり、本訴においてはそのうち金二四二〇万円を請求する。

五1(一) 昭和四六年二月及び九月に原告の母親である訴外甲野マツは被告に対し右四3記載の期間の入院費として金三万五八七九円を支払った。

(二) 原告の慈雲堂病院への措置入院は前記四2記載のように違法無効なものであるから、被告は右金員を受け取る権限はないものというべきである。

仮りに右が理由がないとしても、地方自治法一〇条二項によれば都知事は埼玉県民たる原告らから右入院費用を徴収する権限はないものというべきであるから、都知事のなした右入院費用徴収は同条に違反するものである。

(三) 都知事は右のように訴外甲野マツから右金員を徴収することができないことを知っていたか又は知りうべきであったのであり、一方右甲野マツは右金員を原告所有の預金から支払ったのであるから、結局原告は同知事の不法行為により右金員相当の損害を蒙ったものというべきである。

2  原告は右金員の返還請求のため原告居住の埼玉県川口市から東京都精神衛生課もよりの国電有楽町駅まで三〇往復しなければならなかったが、右に要した電車賃金九〇〇〇円も都知事の前記不法行為により原告の蒙った通常生ずべき損害というべきである。

六  前記期間中、慈雲堂病院における原告の担当医たる訴外仲村某は、原告の度重なる請求にもかかわらず一度も同病院より外出させず、そのため原告は川口簡易裁判所(昭和四五年(ハ)第一六号事件)東京北簡易裁判所(同年(ハ)第七六号事件)東京高等裁判所(同四五年(う)第一六〇六号事件)に各係属中の事件の口頭弁論期日に出頭できず、特に右川口簡易裁判所昭和四五年(ハ)第一六号事件は休止満了となり、同裁判所への再審請求事件の棄却決定に対しても即時抗告をする機会を失し、多大な精神的苦痛を蒙った。

右苦痛に対する慰藉料は金五〇万円が相当である。

なお、右仲村医師は法五条、二九条三項、二九条の五第二項の趣旨から被告の公権力の行使にあたる公務員というべきである。

七  昭和四六年九月二〇日赤羽署司法警察員白井巡査部長は原告が前記乙山に対する告訴状を提出したのに対し、刑事訴訟法二四二条、犯罪捜査規範六三条に違反してこれが受理を拒否したばかりか、これに抗議した原告に対し「お前は頭がおかしいのだからとっとと帰れ」と大声で怒鳴った。これは地方公務員法三四条一項に反するのみならず、原告の名誉を著しく毀損するものである。

原告は右白井巡査部長の各不法行為により精神的苦痛を蒙ったが、これを慰藉するには金二〇万円が相当である。

八  同月三〇日赤羽署において七の事件に関し、原告が同署刑事課長と話し合っていたとき、同署福原捜査第三係長は「さっさと帰れ。帰らぬと不退去罪で逮捕するぞ」と大声で怒鳴り原告を脅迫畏怖せしめた。

右不法行為によって原告の受けた精神的損害は金一〇万円をもって慰藉するのが相当である。

九  前記赤羽署警察官ら、都知事、東京都衛生局医務部長及び前記仲村医師は全て被告の公権力の行使に当る公務員であり、前記各不法行為は全てそれらの者がその職務を行なうにあたってなしたものであるから、被告はこれによって原告に生じた損害を賠償すべき義務がある。

従って原告は被告に対し、一ないし八総計金二五九六万六八七九円及びこれに対する本件各不法行為の後である昭和四六年一〇月一日から完済に至るまで民事法定利率年五分の割合による遅延損害金を支払うことを求める。

(請求原因に対する認否及び被告の主張)

一  請求原因第一項について

1 同項1の事実は認め、同項2ないし4の事実は否認し、その主張は争う。

2(一) 原告はその主張の日時にその主張する「○○○○」店頭においてかねてから意に留めていた同店店員乙山花子に冷笑されたことに憤慨し、客と応待中の同女の背後からいきなりその左首筋を平手で殴打し、同女が悲鳴をあげて店の奥に逃げこんだのを見て自らも逃走したが、右○○○○店奥で同女から右犯行を聞いた同女の同僚訴外丙川正に右現場から約一二〇ないし一三〇メートルにわたって追跡されて同区○○町×丁目×××番地造花店「××」前で同人に暴行現行犯人として逮捕された。

(二) 右丙川から通報を受けた赤羽署司法巡査井上正博は現場に赴き、右丙川から原告を受け取り逮捕者、被害者の氏名・住居及び逮捕の事由を聴取し、右二名とともに前同署へ帰り、同日午後七時三五分同署司法警察員巡査部長白井久(以下「白井巡査部長」という。)に原告を引き渡した。

(三) 白井巡査部長は同七時四〇分ころ原告に犯罪事実の要旨及び弁護士を選任することができる旨告げて弁解の機会を与えたところ、原告は肩に触ったのみであるとして犯行を否認したが、前記(一)記載のように原告の行為の犯罪性は明白であり、一方原告には定職がなく、犯行直後逃走し、検挙歴が二回あり、以前にも前記乙山に対していやがらせをしていたこと等を勘案して留置することにし、同月二五日取り調べた後、翌二六日東京地方検察庁検察官に送致した。

(四) 右検察官は同日東京地方裁判所裁判官に一〇日間の勾留を請求し、原告を代用監獄たる赤羽署留置場に留置することとし、同日同署に逆送した。

同日同裁判所裁判官により原告を一〇日間勾留すべき旨の勾留状が発せられ、更に同年八月四日右勾留の期間は四日間延長された。

(五) 従って原告を赤羽署に留置拘禁した同署警察官らの行為には何らの違法もなく、これに基づき原告が勾留されたとしても違法の問題は生じない。

なお、仮りに原告が前記乙山の肩を軽く叩いただけであったとしても、平素から原告の種々のいやがらせにより同人に対し不快嫌悪の念を抱いていた同女は、原告の右行為により身震いするほどの不快嫌悪を感じ悲鳴をあげながら店の奥に逃げこんだのであるから、右行為は優に暴行罪にいう暴行にあたるものというべきである。

二  同第二、三項について

1 同第二項1、2(但し原告主張のモーターバイクの価格及びそれが盗まれたとの点は不知。)、同第三項冒頭及び1、2の事実は否認し、その主張は争う。

2 同第三項3の事実のうち、原告主張の警察官らが留置中の被疑者らに喫煙を許したことは認めるが、その主張は争う。

主として既決囚の教化改善を目的とする監獄と未決囚を留置する警察署所属の留置場とは、その目的を異にするので、保安管理にも差が存し、監獄法・同法施行規則が後者に当然に適用されるものではなく、時間・場所を限り(本件においても屋外の運動場でのみ許したものである。)喫煙させることは後者においては許されるものというべきである。

また仮りに屋外の運動場で喫煙を許したことにより原告が苦痛を蒙ったとしても、それは社会通念上受忍すべき範囲内のものというべきである。

三  同第四ないし第六項について

1 同第四項1の事実は認める。

2 同項2、3の事実のうち、原告が埼玉県民であること、原告を法二七条により診察した際裁判官の許可を得なかったこと及び都知事が法二八条所定の通知を原告の母親になさなかったことは認め、その余は否認し、その主張は争う。

3 同第五、六項の事実のうち、第五項1(一)の事実及び原告が東京都精神衛生課に来たことがあったこと、慈雲堂病院に仲村医師なるもののいることは認め、その余の事実は不知、その主張は争う。

4(一) 前記白井巡査部長は、昭和四五年七月二八日検察官の具体的指揮に基づき原告の家族の病歴、日常行動等につき原告の母親甲野マツを取り調べ、八月四日検察官の指揮により東京地方検察庁刑事部診断室で医師玉井充に原告を診察させたところ、同医師はこれを精神分裂病の疑いがあり法二五条による通報措置を必要とすると診断した。

(二) 同月六日検察官末永秀夫は東京都知事に対し法二五条により原告の被疑事件名、症状程度、処分内容及び右玉井充の診察について通報したところ、これを受けた都知事(以下の措置は、知事の補助機関である衛生局医務部長が知事から内部委任された権限に基づいて行なった。(四)についても同様である。)は、その症状の程度及び通報者が検察官であることを考慮し精神衛生鑑定医の診察を受けさせることを必要と認め(法二七条一項)、更に、右状況にあっては右検察官が現に原告の保護の任に当っている者(法二八条一項)と判断し、翌七日午前一〇時に精神衛生課下谷分室で診察する旨同検察官に通知した。

(三) 同月七日前記白井巡査部長は右検察官から、原告を起訴猶予処分とするが同巡査部長において原告を右下谷分室まで護送し診察を受けさせるよう指揮を受けたので、精神障害者等通報書の交付を受け、同日午前一〇時ころ原告を右下谷分室まで護送したところ、同分室で精神衛生吏員渡辺静の立会いの下に(法二七条三項)、午前一〇時一〇分から同五〇分まで精神衛生鑑定医広瀬洋子が、同一一時一五分から同四五分まで同中村茂が、各々原告を診察した結果、両者ともに原告を精神分裂症と診断し強制入院措置を必要とすると判定した。

(四) そこで都知事は法二九条により原告を被告指定の慈雲堂病院に入院させることとし、白井巡査部長が既に与えられていた検察官の指揮に基づき原告を同病院まで護送し釈放したところ、同病院管理者が原告を収察した。

(五) 被告は、原告が無職であったので、昭和四六年二月及び九月にその扶養義務者たる母親甲野マツから、昭和四五年八月七日から同四六年四月五日までの入院費のうち金三万五八七九円を徴収した。

5(一) 同第四項2(三)について

法二九条による都道府県知事の措置権の行使は、自身を傷つけ又は他人に害を及ぼすおそれがある当該精神障害者の医療及び保護を速かに行なうという法の趣旨から現在地主義によるべく、従って埼玉県民たる原告を都知事がその指定病院に措置入院させたことは適法である。

(二) 同項2(四)について

右4(二)のとおり検察官末永秀夫が通報をなしたものである(但し、これを示達したのは検察事務官水谷重己である。)。

(三) 同項2(一〇)について

法二九条一項による措置入院は書面でする処分ではないから教示になじまないものというべきである。

(四) 同項2(二)について

都知事は法五条にいう指定病院の重要性に鑑み指定基準を設けているが、慈雲堂病院はこれに合致しており、勿論原告主張の欠陥もない。

(五) 同第五項1(二)について

法三一条は特に費用負担者の居住地に注目しているわけではない。原告の主張は失当である。

6 以上4、5のとおり原告の措置入院及びその入院費徴収には何らの違法もない。

7 同第六項について

仮りに慈雲堂病院の管理者又は担当医に何らかの不法行為があったとしても、一般に各措置入院者の治療処遇は専ら指定病院においても具体的自主的に行なわれていて、都知事が個々具体的に指示する義務はないのであるから、被告としては、前記5(四)記載の都知事の指定基準又は右の具体的な指示に瑕疵があったことにより損害が生じた場合には該らない請求原因第六項の損害について、当然責任を負うべきいわれはない。

四  同第七、八項について

同項記載の事実は否認し、その主張は争う。

五  同第九項について

赤羽署警察官ら、都知事、東京都衛生局医務部長が被告の公権力の行使に当る公務員であり、原告主張の各行為がその職務を行なうにあたってなされたものであることは認め、その余は否認する。

(被告の主張に対する認否)

一 同第一項2(二)ないし(四)の事実のうち、原告に弁護人を選任することができる旨告げたとの点、原告の行為の犯罪性が明白であったとの点、原告が犯行直後逃走したとの点及び以前にも訴外乙山に対していやがらせをしたとの点は否認し、その余は認める。

二 同第三項4(一)、(三)ないし(五)の事実のうち、訴外渡辺静が立ち会ったとの点、原告が精神衛生鑑定医二名の診察を受けたとの点は否認する。請求原因第四項2(七)、(八)記載のとおりである。その余の事実は認める。但し、玉井充の診察は二、三分にすぎない。

第三証拠≪省略≫

理由

一  請求原因第一項について

原告が昭和四五年七月二四日午後七時一〇分ころ、東京都北区○○町×丁目×××番地所在文房具店「○○○○」店員乙山花子に暴行を加えたとの容疑で追跡され、同店店員丙川正に現行犯人として逮捕され、同日赤羽署に引致され、同日から同年八月七日まで同署に留置、勾留されたことは当事者間に争いがない。

しかるところ、原告は右現行犯逮捕が違法なものであるにもかかわらずこれを看過してなされた右留置、勾留は違法であり、また右留置、勾留はその前提手続たる司法警察員による犯罪事実の要旨及び弁護人選任権の告知なくしてなされたもので違法であると主張し、被告はこれを争うので、この点につき判断する。

≪証拠省略≫を総合すると、以下の事実が認められる。

原告はかねてから前記「○○○○」店員乙山花子に関心を持ち機会を見ては同店に勤務中の同女に接近してその手を握りあるいは尻を触わる等の悪戯をしていたため、同女から嫌悪畏怖されてまともに相手にされなくなっていたところ、これを逆に根に持ち、前記日時に「○○○○」店頭において客と応接中の同女の背後からいきなりその左首筋を殴打し、同女が大声をあげたためその場から逃走したが、その大声によって店内から飛び出して同女及びその同僚の女店員から右犯行を聞くとともに三〇メートル位先を逃走中の原告の指示を受けた同僚の丙川正に、右現場から一三〇メートル位追跡されて花屋「花善」前で同人に暴行現行犯人として逮捕されたこと、右丙川は原告を逮捕するとともに近隣の者に警察への通報を依頼し、右通報を受けた赤羽署司法巡査井上正博は右逮捕現場に赴き、右丙川から原告を受け取り、逮捕者の氏名、住居、職業、及び逮捕の事由を聴取し、あわせてその場に来ていた前記乙山からも被害の状況を聞き、なお原告の弁解も聞いた上で原告を暴行現行犯人と判断して、右三名とともに前同署へ帰り、同署司法警察員巡査部長白井久に原告を引き渡したこと、右白井巡査部長は同日午后七時四〇分ころ原告に犯罪事実の要旨及び弁護人選任権の告知をなして原告に弁解の機会を与えた後、原告を留置したこと、そして同署において前記乙山、丙川及び原告の供述調書が作成された後、原告は検察庁へ送致され、そこで検察官による勾留請求の手続がとられて前記日時まで勾留されたこと

以上の事実が認められ、右認定を左右するに足りる証拠はない。

してみると、原告の前記乙山に対する所為は暴行罪に該当するものというべく、そして逮捕者たる右丙川が被害者乙山の大声を耳にし、同女及び同僚から暴行の事実を聞き、かつ同女らの指示により逃走中の原告を現認して、原告を右犯行の現行犯人と判断し逮捕したことは、現行犯人逮捕の要件たるいわゆる犯罪の明白性及び現行性に何ら欠けるところがなく、適法な逮捕行為であると解しうる。また右丙川から原告を受け取った井上司法巡査が刑事訴訟法二一五条に定める逮捕者の氏名、住居及び逮捕の事由の聴取の手続をなしたこと及び同人から原告を受け取った司法警察官白井巡査部長が刑事訴訟法二〇三条に定める犯罪事実の要旨及び弁護人選任権の告知をなしたことは前記認定のとおりである。そうすると、原告を留置、勾置するにつき、その前提手続に何ら違法の点はなかったものということができるから、右手続の違法を前提とする原告の慰藉料請求は、到底理由あるものとして認容しうべき限りでない。

二  請求原因第二項について

1  ≪証拠省略≫によると、原告が赤羽署に留置、勾留中に同署の看守係警察官に対し、自己所有のバイクが赤羽会館にある旨を話したことは認められるけれども、これを超えて、原告が右看守係警察官に対し右バイクの保管方を申し込み、同警察官がこれを承諾したことは、本件全証拠によるもこれを認めることができない。

してみると、原告の右バイク盗難に基づく損害賠償請求は理由がないものといわざるをえない。

三  請求原因第三項について

1  請求原因第三項1、2の事実は、本件全証拠によるもこれを認めることができない。

2  請求原因第三項3の事実のうち、赤羽署看守係警察官らが同署留置場脇の体操場で被疑者らに喫煙を許したことは当事者間に争いがないところ、≪証拠省略≫によれば、右喫煙は被疑者らに運動をさせた後に許していたものであることが認められる。

しかるところ、原告は右認定の警察官らの処置について、これが代用監獄たる警察署附属の留置場にも当然適用される監獄法施行規則九六条に違反すると主張するので、この点につき判断する。

監獄とは既決囚の矯正改善を目的とする行刑の場であり、一方代用監獄たる警察署附属の留置場は主として被疑者、被告人の逃走及び罪証隠滅の防止を目的として留置、勾留する場であって、それぞれの目的を異にするものというべく、従ってその在監者に対する処遇にも差異が生じてしかるべきであるから、右代用監獄たる留置場に対して一律に監獄法及び同法施行規則が適用されるものと解すべきではなく、両者の右の差異に監獄法及び同法施行規則の当該規定の趣旨を照した上でその適用の可否を決すべきであると解する。

そこで、監獄法施行規則九六条を検討するに、同条にいう在監者に対する喫煙の禁止は、火災事故の防止という保安管理上の要請とともに、前記行刑の場としての監獄の紀律の維持の二つの趣旨があるものと解すべきである。

そして、留置場が行刑の場ではないことは前記判示のとおりであるから、その保安管理上の処置はさておき、その紀律の維持のための自由剥奪的な処置は最小限に止めてしかるべきであり、よって監獄法施行規則九六条が留置場における処遇に当然適用されると解することは相当ではない。すなわち、留置場においては、保安管理上の配慮がなされた上であるならば、被疑者らに喫煙を許すことも認められるものというべきである。

してみると、前記認定判示した警察官らの処置は、時間・場所を限ってなされたもので右保安管理上の配慮も尽しているものというべく、よって右処置をもって違法であるとする原告の主張は採用することができない。

また、右被疑者らの喫煙により煙草嫌いの原告が苦痛を蒙ったとしても、これは特段の事情のないかぎり社会通念上受忍すべき範囲内のものというべきである。

以上によれば、請求原因第三項の原告の慰藉料請求は理由がないものといわざるをえない。

四  請求原因第四項について

1  原告が昭和四五年八月七日東京都衛生局精神衛生課下谷分室に連行され、同所で二名の精神衛生鑑定医により問診を受けた後、右同日法二九条一項により東京都指定病院たる慈雲堂病院に措置入院させられ、右入院が同四六年四月五日まで継続したことは当事者間に争いがない。

2  ところで、原告は右措置入院には手続上及び実体上の瑕疵があり違法なものであると主張し、被告はこれを争うので判断する。

≪証拠省略≫を総合すると、原告の措置入院について以下の事実が認められる。

前記白井巡査部長は検察官の指揮に基づき昭和四五年七月二八日右寺靖雄巡査をして原告の家族関係、原告の日常行動等につき原告の母親甲野マツを取り調べさせ、更に検察官の指揮により同年八月四日午前一〇時から正午ころまで東京地方検察庁刑事部診断室で医師玉井充に原告を診察させたところ、同医師は原告を精神分裂病の疑いがあり法二五条による通報措置を必要とすると診断した。

同月六日検察官末永秀夫は検察事務官を通して東京都知事に対し法二五条により原告の被疑事件名、症状程度、処分内容(起訴猶予)及び右玉井充の診断について電話で通報したところ、都知事の補助機関であって以下の事項につき権限を内部委任されている都衛生局医務部長(以下「医務部長」という。)は、その診断の事実及び通報者が検察官であることを考慮して精神衛生鑑定医の診察を受けさせることを必要と認め、また右状況にあっては右検察官が現に原告の保護の任に当っている者と判断し、翌七日午前一〇時に精神衛生課下谷分室で診察する旨同検察官に通知した。

同月七日前記白井巡査部長は右検察官から原告を右下谷分室まで護送し診察を受けさせるよう指揮を受けたので、精神障害者等通報書及び精神衛生診断書の交付を受け同日午前一〇時ころ原告を右下谷分室まで護送したところ、同分室で精神衛生吏員渡辺静の立会いの下に、午前一〇時一〇分から同五〇分まで精神衛生鑑定医広瀬洋子が、同一一時一五分から同四五分まで同中村茂が、各々原告を診察した結果、両者ともに原告を精神分裂病と診断し、強制入院措置を必要とする旨判定した。右診断に基づき、医務部長は都知事名において原告を被告指定の慈雲堂病院に入院させることを決定し、その連絡を受けた検察官の指揮に基づき、白井巡査部長は原告を同病院まで護送し釈放したところ、同病院管理者が原告を収容した。

以上のとおり認められ、右認定を覆すに足りる証拠はない。

3  そこで、原告の右措置入院が違法であるとの主張について順次判断する。

(一)  請求原因第四項2(一)について

原告を診察した精神衛生鑑定医二名が原告を精神分裂病と診断し、その治療と保護のため措置入院を要するとの判定を下し、原告の措置入院は右判定に基づいて決せられたものであることは前記認定のとおりであり、右判定に対し疑問を挾むべき事情は何ら認められないのであるから、右措置入院については法の予定する実体的要件が充足されていたものと認めるべく、原告の主張は何ら理由がない。

原告は、右診断のとおりであるとすれば赤羽署看守係警察官らは被疑者留置規制一〇条、二一条一項、二七条に違反したことになると主張するが、右規定にかかる看守者の注意すべき点は、被疑者の身体の外形的判断に基づく異常の発見にあるのであって、精神障害(とくに、原告に対する診断名となった精神分裂病)という外形的判断の困難な、かつ、専門家によってはじめて適正な診断のなしうる疾病の発見まで義務づけたものではないから、右主張は採用しえない。そして、原告に対する前記診断結果から遡って、原告について犯罪の成立が妨げられることを捜査担当者において知りうべかりしものであったと直ちに推認することができないことについても、右と同様のことがいえるから、留置自体の違法をいう原告の主張も理由がない。

(二)  同項2(二)について

前記認定のように措置入院を命じたのは都知事から権限の内部委任を受けた医務部長であるが、行政庁はその権限を自ら行使するのを原則とするけれども、その一部を内規に基づき補助機関に代理行使させる(内部委任)ことは、処分の性質上許されないような場合を除き、明文の規定がなくとも許されるものと解すべきであり、本件において都知事が法二九条一項の権限を医務部長に代理行使(内部委任)させたことをもって違法ということはできないから、原告の主張は採用しえない。

(三)  同項2(三)について

精神衛生法は精神障害者の医療保護を速かに行なうため現在地主義を採っているものと解すべく、よって都知事が法二九条の措置権を行使して埼玉県民たる原告をその指定病院に措置入院させたことは適法であって、原告の主張は採用しえない。

(四)  同項2(四)について

前記認定のように本件の通報は検察官末永秀夫が通報をなしたもので、原告の主張は理由がない。

(五)  同項2(五)について

前記認定のように、都知事の委任を受けた医務部長において鑑定の必要性を検討したのち鑑定を決定しその旨担当の吏員を通じて精神衛生鑑定医に伝えたのであって、原告の主張は理由がない。なお、右鑑定医に対する命令が文書でなされなければならないとした規定はないから口頭でなされたとしても適法であること云うまでもない。

(六)  同項2(六)について

≪証拠省略≫によれば、原告は精神衛生鑑定医による診察中その手錠をはずされていたこと、そして右診察は原告の自発的応答を前提とする問診及び身体全般の外面的観察による範囲で行なわれたものであることが認められるから、これに刑事訴訟法二二五条を準用すべきであるとする原告の主張は、立論の前提を欠き採用することができない。

(七)  同項2(七)について

前記認定のように、精神衛生鑑定医による診察当時、原告は被疑者として勾留中であったから、その担当の検察官は法二八条にいう現に保護の任に当っている者というをうべく、これに従い都知事は検察官に通知したのであって、原告の主張は採用しえない。

(八)  同項2(八)について

前記認定のように、原告に対する精神衛生鑑定医二名の診察は各々四〇分及び三〇分にわたって行なわれ診断に到達したものであって、原告の主張は理由がない。

(九)  同項2(九)について

前記認定のように、原告の受けた診察には精神衛生吏員渡辺静が立ち会っていたものであって、原告の主張は理由がない。

(十)  同項2(一〇)について

法二九条一項による措置入院は書面でする処分ではないから教示を要しないものというべきであり、よって原告の主張は採用しえない。

(十一)  同項2(十一)について

≪証拠省略≫によれば、慈雲堂病院は東京都が法五条にいう指定病院を決める際の東京都精神病院指定基準に合致していたこと及び東京都においては指定病院に対し病院の実状を把握するため年に一回以上立入調査を行なっていたことが認められ、同病院につき、原告主張のように指定を取り消し、あるいは入院を避けるべき欠陥があったことを認めるべき証拠はないから、原告の主張は理由がない。

4  以上によれば、原告に対する措置入院は実体上も手続上も適法であって、これを違法とする原告の主張は理由がないので、原告の慰藉料請求はこれを認めることができない。

五  請求原因第五項について

昭和四六年二月及び九月に原告の母親である訴外甲野マツが被告に対し二四二日間の入院費として金三万五八七九円を支払ったことは当事者間に争いがない。

しかるところ、原告は右入院費徴収は被告においてその権限がなかったものであると主張するが、原告の慈雲堂病院への措置入院は前記判示したように適法であり、また法三一条にいう費用の徴収は徴税のような住民一般を対象としたものではなく、あくまで個々の費用負担者を対象としたもので、その住所地の如何を問わないものというべきであるから、右費用徴収を違法として徴収額及びその返還請求のために原告が支出したという交通費の賠償を求める原告の請求は、その前提を欠き理由がない。

六  請求原因第六項について

慈雲堂病院に仲村医師がいることは当事者間に争いがない。

しかし、原告主張のように原告が措置入院期間中右仲村医師のため外出させてもらえず、当時係属していた事件の開廷日に出頭できなかったこと及びその事件の一部が休止満了となり訴訟の途を閉ざされたことは、本件全証拠によるもこれを認めることはできないので、本請求原因に基づく原告の慰藉料請求も理由がない。

七  請求原因第七、八項について

≪証拠省略≫によれば、原告が昭和四六年の夏ころ赤羽署に白井巡査部長を訪ね、同人に、措置入院について抗議したことが認められるけれども、原告主張のように右白井巡査部長が原告に対し侮辱的言動をなしたことは、本件全証拠によるもこれを認めることができない。

また、≪証拠省略≫によれば、原告が昭和四六年の夏ころ赤羽署に白井巡査部長を訪ねたところ、同人が不在であったので同署刑事課長に対し措置入院について抗議し、これを福原広平捜査第三係長がそばで聞いていたことが認められるけれども、原告主張のように右福原が原告に対し脅迫的言動をなしたことは、本件全証拠によるもこれを認めることができない。

よって、右各請求原因に基づく原告の慰藉料請求も理由がない。

八  結論

以上によれば、その余の点について判断するまでもなく原告の請求はすべて理由がないから、これを棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 横山長 裁判官 吉戒修一 裁判官松村利義は転任のため署名捺印することができない。裁判長裁判官 横山長)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例